5月31日(金)から6月2日(日)
日枝神社にとって一年で最も重要なお祭りです。
現在交通規制はありません。
昔から日枝神社のことを「山王さん」、春祭りのことを「山王まつり」と親しみをもって呼ばれてきました。
今のように「山王まつり」が賑やかになったのは江戸時代からであると言われております。江戸時代に日枝神社が富山藩の総産土のお宮ということから神社の神輿が富山城に入り、城下あげてのお祭りをおこなったと言われております。

神輿渡御(みこしとぎょ)
富山藩二代藩主前田正甫(まさとし)公が元禄3年4月神輿2基を寄進され、これ以後山王まつりに城下氏子各町を御巡行される慣わしが出来ました。
当時は、神輿は先ず富山城にお入りになり、そこで1泊され、翌日氏子各町をお廻りになりました。
また、御巡行の際に旧下木町(現在の本町)地蔵堂のあたりに神輿が一夜をすごされ氏子各町を廻られたとも言われております。
江戸時代、すでに氏子各町にも神輿があり、日枝神社の神輿が神社に御還幸(ごかんこう)のときには各町の氏子が高張提灯や弓張提灯を掲げ、子供達が町内の神輿を担いで神社までお供をしたと伝えられています。
戦後復興した氏子神輿巡行祭や、同じく復興した御還幸の際に行われる氏子各町のお供もこのような古事に因んだものであります。

5/31 神輿 獅子舞が氏子の西側を巡行いたします
正甫公が寄進されました2基の神輿は残念ながら昭和20年の戦災で焼失してしまい、それ以来神輿1基で渡御を行っております。
現在では、神輿渡御は5月31日氏子の西側、6月1日氏子の東側と2日間にわたって御巡行され、両日とも午前8時半過ぎに神社を御出発、午後5時頃、御還幸になります。
神輿が神社にお帰りになる御還幸には夕暮れの街路を、人々の心にしみわたる笛の音、力強い太鼓の鳴り響く中、整然と行列し、勇壮な大獅子頭、神輿が軒を連ねる露店をかきわけるように御還幸になる様は、山王まつりの風物詩ともいえる光景です。

6/1 神輿 獅子舞が氏子の東側を巡行いたします。